日記

どこにでもいる人の、ありふれた日記です。

昔付き合っていた人と再会した話

先週の後半くらいから東京に行っていた。そのへん散歩したり、優しい人に遊んでもらったりしていた(ありがとうございました)。

そもそも東京へ行ったのは、大学時代の友人が結婚するので一度お祝いをするためだった。それで、そこには大学の時からずっと付き合っていた人も来ていた。その人は、私と別れたあと私と仲の良かった人と結婚したと風の噂で聞いていたので、私は、何となくいつもよりお化粧とかを気にした。私もちゃんと普通の女性のような気持ちになれるみたいで、どうやら、少しでも私と別れたことを後悔してほしいと思っていたみたいだ(私からお別れを言ったのに意味がわからないけれど)。でもやっぱり、私はいじわるなので、私を差し置いて完全なる幸せを手に入れてはほしくなくて、もちろん毎日幸せな時間をすごしていてほしいんだけれど、久しぶりに元カノ(私)に会って、昔の気持ちとかを思い出してウググとなってほしかった。それで、帰りの新幹線の中とかで私のことを考えていてほしかった。痛すぎる。それくらいは許してください。

お店に着いたらなぜか席が真正面になってしまって、最初は全く目も合わせられなかったんだけれど、友人が気を利かせて話題をふってくれたので、それからは自然に話をすることができた。ほんとに別れたのかなっていうくらいに自然で、とてもびっくりしてしまった。その人とは付き合っている時から会話のテンポが心地よくて、付き合っていないみたいにお話ができるのが好きだったんだけれど(私は人前でイチャイチャするのがあんまり好きではない)、昔みたいに、口から言葉がスッと出てきて、とても懐かしくなってしまった。私は口下手だから人と話をするときはすごく言葉を選んでしまうんだけれど、その人は全部おもしろく拾ってくれるので、何も考えずに言葉を発することができるんだった。それで楽しくなって、そのあとつい2人で話し込んでしまうこともあった。ただ、昔と違うのは、その人の薬指に指輪があるということと、お互い1番好きな人ではなくなったということ(私はともかく)。それで、私の近況の話なんかになって、結婚はどうなの、なんて聞くので、たぶん私は結婚できないよと言ったら、ちょっと悲しそうに笑っていた。うん、そうなんだよな。こんなに長く付き合った人ですら私は覚悟を決めることができなかったので。その人と別れる時「人と結婚する気はない」と言ったけれど、ちゃんと守っててえらいな(結婚できない可能性は考えないでおく)。

解散するときに、その人が私を見て「じゃあな」と言った時の顔が忘れられない。5年以上付き合ってきたけれど、初めて見る表情だった。あれはどういう気持ちだったんだろう。結婚すればわかることなのかな。

どうやって人や物事を理解してるのかなという話

この前私にしては珍しくためになる話を聞いてきた。なるほどなーと思ったのは、私たちは、人や物事を全体の何となくの感じでしか把握していないということ。1万人が並んでいる中から私の親しい人を見つけることは容易だけれど、私はその人の髪の毛が何本あるのか、指紋はどんな形なのかなんて知らない。つまりその人を細分化したときには実は知ってることは何もないのだけれど、なぜかたくさんの人の中から見つけることはできるという話。これって、よく考えたら、めちゃくちゃ不思議でめちゃくちゃ面白いよな。「その人だ」とデータで示すことはできないのに、その人だとわかってしまう。私がその人を「その人」だと決定する要素は何だろうな。顔?うーん、目の数とか、鼻のついてる場所とか、大体の人と同じであるし、そもそも、目が何センチかなんてこと知らない。そう考えると、「こういう顔であれば絶対にその人だ」なんてものは説明することはできない。声?まあ、声も聞けばわかるけれど、声だけ聞いたらわからないかもしれない。性格。うん、たぶん、性格も、十分その人を判断する材料にはなりうるんだけれど、私は、その人が靴を右から履いているのか、左から履いているのか知らない。つまり、私は何も知らないってことだ。うーん、もしかしたら、「その人だ」と思って判断しているんじゃなくて、「あの人じゃない」とわかることで、消去法でその人になるんじゃないかな。つまり、AさんとBさんとCさんがいたとして、目の前にその中の1人が現れた時に、髪が長いからBさんではないな、メガネをしていないからCさんではないな、と自分の知っている人の特徴を当てはめていって、最後にどれにも当てはまらない人(=Aさん)だと判断しているのかも。もちろん、最初にAさんかな?という予想はしているけれど、決定はできないみたいな。だから、知らない人をたくさん見た時に、皆同じに見えてしまうことがあるんじゃないかな。AでもBでもCでもない人=「知らない人」ってなってる感じ。数学とかめちゃくちゃ苦手だけれど、証明?のところでこんな感じのこと勉強した気がしなくもない。Aが真だと証明するには、BとCが偽と証明することでわかる、みたいな(間違っているかもしれない。もっと真面目に勉強しておけばよかった)。きっと、これはAだと証明するより、これはBじゃないからAだと言う方が簡単な気がする。

自分でもよくわからなくなってきた。体調がよくないと、よくわからないことまで考えてしまう。

フラットでいること

フラットでいることはとても難しいなと思った。

例えば、犬派と猫派の前で、犬と猫についてお話して下さいと言われたとする。まあ、極端な話だけれど、犬のいいところを話していると、猫派の人は面白くないだろうし、猫のかわいいところを熱弁している間は、犬派の人はムスっとなってしまうかもしれない。それでいて、私は犬派なので両方に向けたテーマとして話していたとしても、どうしても犬の方に偏ってしまうと思う。犬と猫ならまだかわいい話かもしれないけれど、これがもっと、デリケートな話の場合、フラットで話すことはもっともっと難しくなる。いつどこで、どんな人の地雷を踏んでしまうかわからないからだ。加えて、デリケートな話題だと、地雷というものは一人ひとり本当に違っていて、1回踏んでしまうと何もかも駄目になってしまうレベルのものがゴロゴロ転がっている。

私はなるべく日ごろから偏らないように、どんなにひどい話でも、いちおうお互いの事情を知ってから判断しようと心がけてきたんだけれど(そのせいで友達を泣かせてしまったこともあったっけ)、やっぱり、自分の信念みたいなものを否定されるような話を聞くと、ちょっとムっとしてしまったりする。そして、フラットに話すことの難しさも知っているので、そういうことに対しては、のらりくらり、かわしてきた気がする。ちなみに、「フラット」にも2種類あると思っていて、我関せずみたいなタイプと、どちらにも寄り添うタイプで、もちろん後者の方がより難しいんだよな。今回どうしてこんなことを考えたかというと、久しぶりに(初めて?)デリケートな話題でフラットに話している人を見たから。何となく、どちらの立場も経験した人がフラットになれるんだろうなと思った。

ということは、私は一度猫派にならなければならない。まずは猫ちゃん飼わなきゃ。

少なめの生き方

昔から、何事に対しても少なめで生きてきたように思う。例えば、カップラーメンのお湯の量とか、お米を炊く時の水の量とか、誰かを信じる気持ちとか。

多すぎるのは良くない。カップラーメンはお湯が多すぎると味が薄くなってしまうし、水が多すぎるお米はベチャベチャでおいしくないし、過度に期待しすぎると痛い目を見る。対して少ないのであれば、割と後から修正がきく場合が多いので、私は、誰に言われたわけでもないけれど、思い起こすと、ぴったりの線よりもちょっと少なめの人生だった。

少なめにすることで、良いこともそのぶん少ないけれど、悪いことも少なくてすむ。どちらかというと、悪いことが起きるほうが嫌なので、良いことを犠牲にしても、何もないほうがよっぽどいいよ。

 

メールレディをしていて思うこと

メールレディをしていると、さすがの私でも、男の人の性欲に、あっ、もうお腹いっぱいですとなる時がある。メールレディっていうのは、男の人とサイトを通してメールでやりとりして、お金をもらうお仕事のこと。私は東京に住むバツイチ子持ちのエッチな女性として、50人くらいとやりとりしてるんだけれど、おじさんたちは、私の裸を見るために、風俗に行けるくらいのお金を使ってメールを送ってくる。きっと、「素人」っていうのに、箔がつくんだろうな。エッチなビデオも、素人ものの人気は根強い。そうして、20歳から70歳まで、みんなして、おっぱい見たいとかエッチしたいとか言ってきたり、股間の写真を送ってきたりしている。私は偉いので、おっぱい見せてと言われたらちゃんと見せるし、送られてきた画像もちゃんと確認して「おっきい////」とかコメントしてあげている。ただ、そういうやりとりを毎日していると、よくもまあ、会ったこともない人にここまでできるなと思ったりしてしまうことがある。今だったら、インターネットで特定のワードを入れれば、そんなものは簡単に見ることができるので。まあでも最近私も、1週間人と話さない時があったりして、おじさんたちの気持ちが少しわかってきた気がする。独身で、女友達もいなくって、毎日家と会社の往復をしていれば、日常に少し刺激がほしいと思うかもしれないな。既婚者も割と多いんだけれど、家では奥さんに相手してもらえなくて、また昔みたいにドキドキしたいと思った時に、バレにくい方法で浮気相手を探すのもアリかもしれない。だったら結婚しなければいいのにと思うけれど。家族がいる幸せを手に入れておきながら、自分の欲望も抑えきれてないの、アホすぎる。やっぱり結婚は、何もかも捨てる覚悟でしなければならない。まあ、おじさんたちは私に性欲をぶつけてくるけれど、きっと普段は何食わぬ顔で生活してるんだろうな。おじさんたちの頭の中は、家族や仕事のこともあるんだろうけれど、そのうち性欲の部分だけを私にぶつけてくるので、私はお腹いっぱいになっちゃうんだと思う。普段の仕事してるところとか見てたら、もうちょっと好きになれるかもしれない。

4/26の日記

7:30に起きた。喉の痛みが限界まできていて、最悪な目覚めだった。ずっと誰かに、首をしめられているようで、つばを飲もうものなら、細い針で喉の奥をチクチク刺してくる感じ。これはだめなやつだと思って、フラフラとサウナに入りに行った。サウナは風邪に効くと、どこかで聞いたことがあったので。カラカラの身体のまま、体育座りをして、ジッと下を向いていると、腕とか首とか、全身からポツポツと水分が出てくる。それをふき取らないで、身体中水たま模様みたくなるのが好きだった。水って、シャワーから出る時は、すぐに私の体から流れ落ちてしまうけれど、中から出てきたものは、きれいなまん丸のまま、もとからそこにあったかのように、私の体と一緒になることができた。そうして、だんだんと息苦しくなって、髪の毛も燃えてしまうくらい熱くなってきたら、外に出て水風呂に入る。まずは汗を水で流してから、一気に全身を水の中に入れる。最初は心臓が止まるんじゃないかと思うくらい冷たいんだけれど、だんだんと、心臓が頑張って血を流してるのがわかるようになってきて、ポカポカしてくる。あと、これは私だけなのかわからないけれど、気道がすごく広がって、たくさん息を吸うことができるようになる。そのへんの空気を全部吸えるくらい、口から肺までの道が通っていて、スースーしてくる。その時だけは、喉の痛みも消えてしまうので、何回も何回もサウナと水風呂に入った。

家に帰ってすぐ寝ればよかったんだけれど、なんだか連休前だからなのか、いろんなところから電話とかメールが来ていて、それに対応していたらとても疲れてしまった。さっきまで寝ていたけれど、あんまり良くなってない。せっかく節約のためにネットカフェに泊まったのに、風邪を引いて薬とか買うならば、普通のホテルに泊まったほうがよい。本当に、健康が一番。

4/25の日記

今朝は8時半に起きた。昨日はいつのまにか寝てしまったみたいで、気が付いたら布団の中だった。お酒を飲んでいたのもあるけれど、やっぱり前の日にネットカフェで眠ったからのような気がする。あんまり疲れが取れなくて、帰りの電車の中でも死んだように眠っていたので。のどがちょっと痛くて、どうやら風邪をもらってきてしまったみたいだ。働いていないのに風邪とか引いてるの、ちょっと恥ずかしいな。風邪は働いてる人の特権な気がする。それで、豆苗の水を変えようとしたら、白くてもわもわしたやつがついていた。カビが生えてしまったらしい。ここ数日天気が悪かったからだな。豆苗も満足に育てられない。午前中は、人からのメールを返したり、そういう事務作業をしていたら終わってしまった。そして、妹がこちらに来るというので、準備をして、駅まで迎えにいった。もう15時近かったけれど、ふたりでラーメン屋さんに行って、私はまぜそばと生卵を頼んだ。この前東京でまぜそばを食べてから、まぜそばにハマっている。それで、大盛を頼んだはずなのに、全然足りなくて、ご飯と餃子も食べてしまった。胃がイカれてる。最近妹は、副業でキャバクラとパパ活をはじめたみたい。そして私はエッチなメールをしてお金をもらっているので、血は争えないみたいだ。でも、やっぱり性格は出るようで、妹は直接合ってお話したりしてお金をもらっているけれど、私は家でパソコンの前に座ってアンアン言ってる。まあ、お互い犯罪には手を染めず、死なない程度にがんばろうと言い合った。

夜はしばらくさぼっていたメールレディの仕事をする。みんな私は仕事が忙しくてなかなかメールできてなかったと思っているみたい。今日もこれから電話で話すので、がんばってお話して、食費の足しにさせて頂きます。あとはさっきまでお友達と電話をしていた。この人はふしぎな人で、たぶん、私の周りにこういう人がもっといたならば、もう少し楽に生きることができてた気もする。よくわからないけれど。そうそう、最近の私のブログはやっといつもの私に戻ってきたみたい。1ヶ月くらい前のブログは、メンタルがヘラりまくりでやばかったらしい。やっぱり気持ちは文章に出るんだな。

今のうちにやりたいことをやろうと思っていて、とりあえず、風俗で働いてみたいと思っている。東京とかで3日くらいやってみるのはどうかな。ぜひ来てください。