日記

どこにでもいる人の、ありふれた日記です。

どうやって人や物事を理解してるのかなという話

この前私にしては珍しくためになる話を聞いてきた。なるほどなーと思ったのは、私たちは、人や物事を全体の何となくの感じでしか把握していないということ。1万人が並んでいる中から私の親しい人を見つけることは容易だけれど、私はその人の髪の毛が何本あるのか、指紋はどんな形なのかなんて知らない。つまりその人を細分化したときには実は知ってることは何もないのだけれど、なぜかたくさんの人の中から見つけることはできるという話。これって、よく考えたら、めちゃくちゃ不思議でめちゃくちゃ面白いよな。「その人だ」とデータで示すことはできないのに、その人だとわかってしまう。私がその人を「その人」だと決定する要素は何だろうな。顔?うーん、目の数とか、鼻のついてる場所とか、大体の人と同じであるし、そもそも、目が何センチかなんてこと知らない。そう考えると、「こういう顔であれば絶対にその人だ」なんてものは説明することはできない。声?まあ、声も聞けばわかるけれど、声だけ聞いたらわからないかもしれない。性格。うん、たぶん、性格も、十分その人を判断する材料にはなりうるんだけれど、私は、その人が靴を右から履いているのか、左から履いているのか知らない。つまり、私は何も知らないってことだ。うーん、もしかしたら、「その人だ」と思って判断しているんじゃなくて、「あの人じゃない」とわかることで、消去法でその人になるんじゃないかな。つまり、AさんとBさんとCさんがいたとして、目の前にその中の1人が現れた時に、髪が長いからBさんではないな、メガネをしていないからCさんではないな、と自分の知っている人の特徴を当てはめていって、最後にどれにも当てはまらない人(=Aさん)だと判断しているのかも。もちろん、最初にAさんかな?という予想はしているけれど、決定はできないみたいな。だから、知らない人をたくさん見た時に、皆同じに見えてしまうことがあるんじゃないかな。AでもBでもCでもない人=「知らない人」ってなってる感じ。数学とかめちゃくちゃ苦手だけれど、証明?のところでこんな感じのこと勉強した気がしなくもない。Aが真だと証明するには、BとCが偽と証明することでわかる、みたいな(間違っているかもしれない。もっと真面目に勉強しておけばよかった)。きっと、これはAだと証明するより、これはBじゃないからAだと言う方が簡単な気がする。

自分でもよくわからなくなってきた。体調がよくないと、よくわからないことまで考えてしまう。