日記

どこにでもいる人の、ありふれた日記です。

大切なものは失ってから気付くというのはその通りで、失ったことがないのだから当たり前なんだけれど、それをいつまでも、何とかもう一度手に入れられないかとバタバタしているのは見苦しくて、駄々をこねてる子どもみたいだ。大学時代の心残りといえば、もう少し真面目に勉強をしておけばよかったことなんだけれど、それを叶えるために、こっそり大学に忍び込んで講義を受けてきた。バレないように、いろんな学部の人が受ける基礎的な内容の講義だったんだけれど、とてもおもしろくて(少なくとも上司に怒られている時間よりは)、たった1回の講義だけでも、すっかり自分の知識として良いものにすることができた。今回大学生に紛れて講義を受けて、構内を大学生のふりして歩き回っていて、すっかり大学生になった気持ちになっていた。今だったら、もっと上手に大学生活を送ることができたのは間違いないけれど、それは(お金を払わない限り)無理で、なのにこんなことしているのは本当にあきらめが悪い。それでいて、今私の周りにいる人は働いている人がほとんどなので、そういう人の話を聞いたり、私がこうやって今ボーっとどうでもいいことを考えている間も社会のために頑張っているんだなと思うと、つくづく、自分の未熟さが際立つ気がしてみじめになってしまう。本当は好きなだけニートをして、きっといつかは飽きて働きたくなるはずなので、その時になったら社会の歯車となることを受け入れようと思っていたのに、1カ月しても、そんな気が全く起きない。図書館の本は読んでも読んでも読み終わらないし、昨日までつぼみだった花が咲いたりするので日々が飽きることなくて困っている。駄目人間になっている気配もなくて(少し体重は増えた)、むしろ、いろんなことをゆっくり考えることができてよい方向に仕上がってきている気がする(ここでの「よい方向」というのはあくまで私の主観によるものなので、世間一般から見ると「悪い方向」と言い換えられてしまう可能性がある)。将来について、ばく然とした不安はもちろんあるけれど、私は、子どももいなくていいので、もっと言うと、旦那さんもいなくていいので、最低限、自分1人だけで生きていけるくらいのお金をもらうことができれば、そんなに贅沢せず、たまに喫茶店でお茶を飲むくらいの贅沢は欲しいけれど、高い宝石も、海外旅行も行かなくていいので、そんな感じで静かに暮らしていければいいと思っている。テレビの情報を鵜呑みにすると、世間でいうところの「幸せ」とはずれてるみたいだけれど、しょうがないな。普通の人は、がんばって入った会社を1年でやめたりしない。